Zettelkastenに、何でもかんでも入れるべきではないという記事を書いた。
では、どのような情報を入れるべきなのか。この記事では、3つの論点に沿って考えたいと思う。
全ての情報を管理してはいけない
まず「何でも出来る」と聞いて、皆さんが思い浮かべるものの特徴はなんであろうか。私は「帯に短し、襷に長し」という特徴を思い浮かべる。
例えば、何でも出来るノートパソコンというのは、実に扱いに困る。グラフィックス性能が高く、ゲームができるとしよう。それでも、デスクトップ型のパソコンにグラフィックス性能は及ばず、また、バッテリーの持ちも悪くなる。何にしても中途半端になるのである。
同じことがZettelkastenにも言える。「何でも入っている」というのは、情報を検索する際には便利であるが、こと知の再生産を考えると、扱いに困る。有象無象、玉石混合な情報からは、何かを生み出すことは難しいからである。
例えば、十分に調査された内容と、街中を歩いていてふと閃いたアイデアが一つの場所にあるとして、それらを組み合わせて何かを生み出すことは難しい。アイデアを裏付ける情報があるのであれば、その情報と組み合わせて一定の見解を整理しておくことが重要であろう。
このようにZettelkastenには、吟味や精査が「ある程度」完了した情報を入れておくことで、情報のレベルを整えておくことが重要なのである。
自分の考え以外の情報を入れてはならない
Zettelkastenを「思考の再利用装置」と機能させるためには、中のノートが「自分の考えだけで構成されている」と信頼できる状態を維持し続けることが重要である。
Zettelkastenの関連するノートとして、Fleeting Notes(ひらめきやアイデアのノート)、Literature Notes(文献ノート)がある。これらは、ZettelkastenのPermanent/ Structured/ Index Notesを生み出すための補助的な位置付けにある1。従って、走り書きや他者の意見をZettelkastenに入れるべきではない。
ここまでに述べてきた2点は、「再利用時のノイズを減らし、思考を引き出しやすい状態を維持すること」が目的となる。
ノートは、見返されることを前提に作るべきである
Zettelkastenの基本的な考え方は「ネットワーク型ノート」である。Webの世界と同じく、ノート間がキーワードによって繋げられ、ネットワークが作られる。関連を作り、辿り、新たな知を生み出していくという流れになる。
このような仕組みにおいて、ノートは少なくとも3回は見直されると考えている。
1回目は、ノートを作成するときである。まずは、ノートの内容を記述し、Structured Notesからリンクさせる。その上で、記述されている内容がAtomic Note(原子ノート)として成立しているか、再利用可能かという観点でチェックをし、必要に応じて見直す。
2回目は、ノートが他のノートから新たにリンクされたときである。新たな関連が生まれ、また、別と思われていたノートから関連が辿られるといったときに、ノートの記載内容を見直すことがある。例えば、再利用性を高めるためにはある程度の抽象化が必要になるが、切り口を変えてみたときに抽象化が不十分であったりする場合には、ノートの再利用性を高めるために記述内容を見直す。
3回目は、他のノートからリンクを辿って参照されたときである。何かしらの新しい、あるいは意外なつながりが生まれたときに見直される可能性が高い。また、共通項を抜き出した上で新たにノートを作り、関連を作っていくという場合である。
こう考えると、ノートというのは見返されることを前提に作るべきなのである。つまりどういうことか。たとえいつのノートであっても、ノートに背景情報など理解に必要な情報を含め、理解可能な状態を維持し続けなければならないということである。
では、全てをネットワーク型ノートで管理したい場合にはどうすれば良いか
管理単位を厳密に分けることを推奨したい。例えば、私の場合はZettelkastenとLiterature NotesをObsidianで運用しているが、それぞれVaultを分割している。
ObsidianはVault間のリンクをサポートしているため、Zettelkasten側からLiterature Noteにリンクを貼り、「自分の考えと文献」を分離しながら運用をしている。これにより、Zettelkastenの独立性は守られ、ノイズトなる情報は入り込まなくなる。また、Obsidianが持つネットワーク型ノートの利点を享受することもできるのだ。